あと少し、何か色々足りない主婦の毎日

100%になれる日はくるのか

心苦しい秋の始まり

早速HTML編集挫折してる…

 

書きたいことを書くのにすごい時間を要するうえに分からない部分を解決できないんですわ。

 

なんでもかんでもすぐ興味持つくせに3日坊主どころか一度経験したらやめてる方が多いかも。。。

ネット銀行とか証券を申し込んで4社くらいカード届いてから封筒も開けてないとか。

 

これも隠れADHDの特性なのか?隠れADHD

 

 

 

 

それにしてもここ数日、すごく息をするのが苦しい毎日です。体的にというか精神的にですが。

 

なんどもなんどもどうしてこんなに普通に恵まれた世界にいるのに

こんなに生きにくさを感じるんだろうって考えては、何をつまらんことを考えてるんだ自分は・・・て自制してました。

でも、やっぱり考えてしまうんです。そして、寝る前に怖い映像が降ってくると言い出した子供の事もすごく心配になるんです。

私も子供のころ、目を閉じるとすごく奇怪で奇妙でものすごく恐ろしいような空想のような絵が目の前に広がる経験をよくしていたんです。なんか自分と同じことを経験していると、すごく不安。

 

ソッチの気があるのかな…てすごく不安。

 

そもそもの悪の根源の腰痛はもうすっかり完治して絶好調なんです、治ってすぐプールに行って浮き輪のスライダーではしゃいでしまったほどに。

浮き輪から降りるときに危なかったですが・・・腰は不意の動きに弱いので。

そんなはしゃいだ後も眠るときは鬱々としてしまうんです。

 

 

つい先日、働く人の夢っていう本を読んだんですけど

 

人が動くと書いて働く

人が生きると書いて人生

 

どちらも楽しく出来たらそれが幸せ

 

みたいな←適当 本でした。

 

自分が生きてる価値を考えてしまう本でした、働いてないと生きてないのかな。在宅ワークなんて甘いことしてて稼ぎが無い自分は人間失格なのかな。

 

何をやっても駄目で

自分でたくさん頑張っているつもりなのに

自分の限界が普通のひとより早くて結局駄目な子

 

私って一体何ができるんだろう

私に出来ることってあるのか?もしかして何もないのでは?

何も分からない

でも時間はどんどん過ぎていくし

すぎた時間はもちろん戻らない

 

このままじゃいけない、頑張らなくちゃ頑張らなくちゃ

 

 

本を読んでからはずっとそんな感覚で安定していませんでした。

 

 

 

 

 

 

突然ですが

私の母親は今の私の年齢くらいにはもう統合失調症(当時は分裂症だったかな)で強制入院させられていました。

 

私は子供なりに母親が異常なのも分かっていました。でも、父親はずっとなんで入院したとかは教えてくれませんでした。

やっぱり子供だからお母さんが近くにいないのはすごく悲しかったわけです。

だからよく家でも一人で泣いていました。でも絶対にそれを誰にも見せませんでした。

 

当時は精神薬がすごく強いものしかなくて、依存もすごくて、母親は薬を飲んでも飲まなくても朦朧としていました。一時的に退院したものの薬を必要以上に飲んで狂ったようにずっと罵声をあげていたので

また強制入院させられたりしていました。

 

父親は母親に対してはすごく威圧的なタイプだったのですが、私にはとても甘かったように思います。もう亡くなって7年経つのですが、父親の事はずっと大好きでした。

 

私は小学校の卒業式も中学校の入学式も母親はいませんでした。高校は荒れていたのであまり自身でも記憶がありません。

 

そしてそんな重度の統合失調症を患って何十年も昼夜逆転生活をしていた母親ですが、現在はきちんと朝起きて夜寝て、姑と二人暮らしで介護しています。

 

それはもうあの頃の母親からは想像もできない活発で優しくて頼もしい母親です。

今は当たり前のように生活出来ていますが、ここまでの道のりも長かったです。

 

 

また、これもいつかゆっくり書きたいと思っています。←本当か

 

なぜ母親の統合失調症の話になったかというと、いま私自身がすごく精神疾患を発症することにおびえているからです。

 

母親も同居開始してから強いストレスを受けて発症したと推測出来るんです。

 

父親からDV受けて姑からもいじめられ、遠方に嫁いで友達がいないので職場でも孤立していたそうなので。

 

私自身同居を始めたことはもちろんストレスですが、それ以上に直近で最後に勤めていた仕事で受けたストレスがものすごくて何度通期途中に事故になって死ねたら…と考え休みの日も仕事の事を考えていたか…

 

仕事自体というよりは、そこにいたお姑さんみたいな事務長です。人間不信になるくらい酷い醜いどす黒い人間でした。

 

3人しかいない事務員の中で毎日行なわれる公開処刑は来る人来る人がすぐに辞めていき、1年しかいない私が副事務長になるくらいでした。

 

みんな、病んでしまった形でした。私も例にもれず病んでしまい結局本当に単独事故を起こして車は廃車になりました。でも、けがは鞭打ちすらありませんでした。

 

そこで、私は生かしてもらえたんだと強く感じて仕事を辞める決意をしました。お姑事務長以外はすごくいい人達だったので本当に迷いましたが、醜い人間1人の為に自分の人生をつらいものにしてはいけないと一歩踏み出すことにしたのです。

 

辞めることにものすごいエネルギーを使ったのでしばらくは何もできませんでした。やっと短期派遣で働いたのですが、そこにいた人達は皆さん本当に仏のような人だったのにも関わらず

 

お姑事務長の影が付きまとい、変に力が入りすぎて本来の力が発揮できるようになったころ契約終了となってしまいました。それまで単純作業なのにミスが酷すぎて血の気が引きそうでした。←もともと

 

そこからは企業で働くのが怖くなってしまって、近くのワークセンターでクラウドソーシングサイトで見つけた仕事をちょこちょこやる程度にとどまっているのです。

 

 

でも、今のままで良いのかと聞かれたら良いのか分からない。プログラミングも習得できそうな見込みもないし、でも勉強はしていきたい。

でも2カ月やって8,000程度しか稼げていない今の在宅をいつまでやるつもりなのか。進展を見込んでいるのか。

 

なのでこんな自分に踏ん切りをつけるために明日職場見学と面接に行きます。

なので髪も久しぶりに切りました。子供いわく千と千尋の千みたいな頭ですって。緑じゃないですが。

 

面接もあるのに履歴書真まだ書いてません。え…

 

職種は今までの事務とは違いリハビリトレーナーです。

何故だろう。今まで事務しか経験が無いのに、事務に一番向いてない気がしているのは。なのに、また部長秘書(何それ)にも応募しようとしている自分がいて本当に不思議に思う。

止めておきなさいよ…

 

トレーナーもきっと私にはミスの宝庫でたくさん失敗するんだろうな

生きるって難しい。

 

と、受かってもいない仕事に思いをはせる心苦しい秋の始まりなのでした。