同居して初めての秋は・・
7歳子供の謎の咳は結局ぜんそくと仮で診断され吸入など出されました。
その診察にややもやもやするも薬を飲み続けるうちに症状は治まりました。でも、知り合いの方いわく、喘息の薬は麻薬みたいなもんだから仮でぜんそくとみなされて処方されるものではないらしい・・・
なので薬は治療半ばでやめてしまいました。
そのあと耳が痛いと夜中に泣きわめいて起きたので耳鼻科に行ったら中耳炎でした。いままで風邪もひかないような子だったのに、同居し始めてからこれ。
汚い猫もいるからなのかアレルギー?困った困った。
しかも、その症状が落ち着いたと思ったら、今度は私が謎の咳き込みに悩まされることに・・・
静かにしていると突然喉がイガイガムズムズしてきて、いてもたってもいられない衝動に駆られて、そのまま咳をし始めると顔が真っ赤になるくらい咳き込むというのを日に何度か繰り返しています。
いま、仮にも人前に出て声を出す機会も何度もあるのでこれは本当に辛いです。
耳鼻科に行ったら喉に炎症があるとか言われましたが、もうこれもアレルギーの一種なんじゃないかと思ったりしています。
同居してから良いこと全然ないわ・・
と思っていましたが、最近実りの秋。という事実を体で感じることができました。
毎日のようにブドウ・梨・りんごのオンパレードで、自分の体がとても実ってしまいました。(もともと実っていたのに)
新米も獲れるし田舎の秋はたまりません。
誰か巨大化したお尻を小さくする方法を教えてほしいです。スクワットするにも腰痛を気にしすぎてうまくいかないので補助道具とかあればいいのか・・?
11月にはプレゼンの機会があるので本当に本気で痩せたいけど、こればっかりはやる気だけあっても駄目ですからね・・気持ちを実行に移す力が無いと!!
でも、頑張ってお尻が小さくなったら丈の短いトップスを着てみたいなぁ。いつもお尻が隠れる長さのトップスを着てたから・・涙
秋の夜長・・・のはずが
はてなブログから前回の記事更新から1カ月が経ちますでってお知らせ来たけど
もうそんなに経ったのかと驚いちゃいましたよ。
でも2週間は経ってました。
間違いなくブログ更新忘れてました。何か始まると何か忘れる私です。
前回書いたとおり未経験の仕事の面接をして、なんと次の日から早速仕事に就かせてもらいました。慣れないせいもあってか、疲れて夜は子供と一緒にバタンキュー・・・
秋の夜長にブログ更新と記事作成の在宅ワークの方も進めようと思っていたのに、疲れ果てて何も出来ない日々が続きました。
でも、体を使う仕事の方が私にはやりがいがあるって分かりました。あれだけ今まで事務職ばかり就いてきたけれど、自分の適応力がついていけてないのに慣れた仕事だと勘違いしていたのが間違いだったなぁとつくづく思います。
人生で自分の適職を見つけられる人ってどれくらいいるんだろう。
なんとなく就いた仕事をずっと続けてても、それが自分に全然合っていない可能性だってある。それに気がつくのに私みたいに10数年かかることもある。探してるうちに人生終わっちゃうよ!本当に難しいなって思いました。
前の仕事の時は朝起きる前から夢でも仕事でうなされて変な動悸を感じながら本当に最低な気分で、どうしてこんな人生なんだよ私は。的な事をずっと考えながら運転して仕事に向かっていたけど、今は早く仕事行きたいって思えてるからすごい。仕事が楽しいとそれ以外の生活も楽しくなって、そうすると自然と休みも子供と楽しく遊べて心から安らいだ気持で夜も眠れるんですよね。
すぐに沈んで、なんでもかんでも悪い方に考えていたのに、今はすごく前向きに考えていられる。仕事変えただけなのにこの変化はすごいなぁと自分でも思ってしまいました…
仕事が変われば人生が変わるんだ。それが自分に合っていればなおのこと。
そう実感しました。そして、ADHDな私は事務は向いていない事を肝に銘じて2度と事務はやらない。そう決意しました。数字苦手なのに日々数字や間違いとの格闘していたのは謎…
そういえば私生活でも子供1人なのにロクに管理してあげれていないもんね。自慢じゃないけど私が自分で精一杯だから子供の行事とかギリギリで他のお母さん情報で気づいたりして、先週の参観日も旦那さんにお願いしたという…おかげで自立した子になってくれている?のかな。
兄弟が3人とかいるお母さんを本当に尊敬します。1人でも慌てふためいている私にはそんな偉業は成し遂げられません。母親って本当にすごい、いわば会社の人事総務食堂(?)部長的な感じすらする。
だから子供には申し訳ないけれど一人っ子を満喫してもらえたら有難い母なのです。
単純に下が出来なかったというのもあるけれど。兄弟がほしいとか言われなかったのが救い…いや、気を使ってくれてたのかな。
なにせ感受性が強いから。そして受け身。ひたすら受け身。本人がそうしたいから無理強いはしていないけど、自分の意見を言えるようになるには時間がかかるみたいです。
さて、3連休は村のお祭りに明け暮れてどこにも連れていけなかったし、謎の咳に襲われ2度の嘔吐からの睡眠。大丈夫かなぁ
明日はちゃんと学校行けるか様子をうかがいながら母は今日は寝落ちせずに見守るぞ。と決意しました。
心苦しい秋の始まり
早速HTML編集挫折してる…
書きたいことを書くのにすごい時間を要するうえに分からない部分を解決できないんですわ。
なんでもかんでもすぐ興味持つくせに3日坊主どころか一度経験したらやめてる方が多いかも。。。
ネット銀行とか証券を申し込んで4社くらいカード届いてから封筒も開けてないとか。
それにしてもここ数日、すごく息をするのが苦しい毎日です。体的にというか精神的にですが。
なんどもなんどもどうしてこんなに普通に恵まれた世界にいるのに
こんなに生きにくさを感じるんだろうって考えては、何をつまらんことを考えてるんだ自分は・・・て自制してました。
でも、やっぱり考えてしまうんです。そして、寝る前に怖い映像が降ってくると言い出した子供の事もすごく心配になるんです。
私も子供のころ、目を閉じるとすごく奇怪で奇妙でものすごく恐ろしいような空想のような絵が目の前に広がる経験をよくしていたんです。なんか自分と同じことを経験していると、すごく不安。
ソッチの気があるのかな…てすごく不安。
そもそもの悪の根源の腰痛はもうすっかり完治して絶好調なんです、治ってすぐプールに行って浮き輪のスライダーではしゃいでしまったほどに。
浮き輪から降りるときに危なかったですが・・・腰は不意の動きに弱いので。
そんなはしゃいだ後も眠るときは鬱々としてしまうんです。
つい先日、働く人の夢っていう本を読んだんですけど
人が動くと書いて働く
人が生きると書いて人生
どちらも楽しく出来たらそれが幸せ
みたいな←適当 本でした。
自分が生きてる価値を考えてしまう本でした、働いてないと生きてないのかな。在宅ワークなんて甘いことしてて稼ぎが無い自分は人間失格なのかな。
何をやっても駄目で
自分でたくさん頑張っているつもりなのに
自分の限界が普通のひとより早くて結局駄目な子
私って一体何ができるんだろう
私に出来ることってあるのか?もしかして何もないのでは?
何も分からない
でも時間はどんどん過ぎていくし
すぎた時間はもちろん戻らない
このままじゃいけない、頑張らなくちゃ頑張らなくちゃ
本を読んでからはずっとそんな感覚で安定していませんでした。
突然ですが
私の母親は今の私の年齢くらいにはもう統合失調症(当時は分裂症だったかな)で強制入院させられていました。
私は子供なりに母親が異常なのも分かっていました。でも、父親はずっとなんで入院したとかは教えてくれませんでした。
やっぱり子供だからお母さんが近くにいないのはすごく悲しかったわけです。
だからよく家でも一人で泣いていました。でも絶対にそれを誰にも見せませんでした。
当時は精神薬がすごく強いものしかなくて、依存もすごくて、母親は薬を飲んでも飲まなくても朦朧としていました。一時的に退院したものの薬を必要以上に飲んで狂ったようにずっと罵声をあげていたので
また強制入院させられたりしていました。
父親は母親に対してはすごく威圧的なタイプだったのですが、私にはとても甘かったように思います。もう亡くなって7年経つのですが、父親の事はずっと大好きでした。
私は小学校の卒業式も中学校の入学式も母親はいませんでした。高校は荒れていたのであまり自身でも記憶がありません。
そしてそんな重度の統合失調症を患って何十年も昼夜逆転生活をしていた母親ですが、現在はきちんと朝起きて夜寝て、姑と二人暮らしで介護しています。
それはもうあの頃の母親からは想像もできない活発で優しくて頼もしい母親です。
今は当たり前のように生活出来ていますが、ここまでの道のりも長かったです。
また、これもいつかゆっくり書きたいと思っています。←本当か
なぜ母親の統合失調症の話になったかというと、いま私自身がすごく精神疾患を発症することにおびえているからです。
母親も同居開始してから強いストレスを受けて発症したと推測出来るんです。
父親からDV受けて姑からもいじめられ、遠方に嫁いで友達がいないので職場でも孤立していたそうなので。
私自身同居を始めたことはもちろんストレスですが、それ以上に直近で最後に勤めていた仕事で受けたストレスがものすごくて何度通期途中に事故になって死ねたら…と考え休みの日も仕事の事を考えていたか…
仕事自体というよりは、そこにいたお姑さんみたいな事務長です。人間不信になるくらい酷い醜いどす黒い人間でした。
3人しかいない事務員の中で毎日行なわれる公開処刑は来る人来る人がすぐに辞めていき、1年しかいない私が副事務長になるくらいでした。
みんな、病んでしまった形でした。私も例にもれず病んでしまい結局本当に単独事故を起こして車は廃車になりました。でも、けがは鞭打ちすらありませんでした。
そこで、私は生かしてもらえたんだと強く感じて仕事を辞める決意をしました。お姑事務長以外はすごくいい人達だったので本当に迷いましたが、醜い人間1人の為に自分の人生をつらいものにしてはいけないと一歩踏み出すことにしたのです。
辞めることにものすごいエネルギーを使ったのでしばらくは何もできませんでした。やっと短期派遣で働いたのですが、そこにいた人達は皆さん本当に仏のような人だったのにも関わらず
お姑事務長の影が付きまとい、変に力が入りすぎて本来の力が発揮できるようになったころ契約終了となってしまいました。それまで単純作業なのにミスが酷すぎて血の気が引きそうでした。←もともと
そこからは企業で働くのが怖くなってしまって、近くのワークセンターでクラウドソーシングサイトで見つけた仕事をちょこちょこやる程度にとどまっているのです。
でも、今のままで良いのかと聞かれたら良いのか分からない。プログラミングも習得できそうな見込みもないし、でも勉強はしていきたい。
でも2カ月やって8,000程度しか稼げていない今の在宅をいつまでやるつもりなのか。進展を見込んでいるのか。
なのでこんな自分に踏ん切りをつけるために明日職場見学と面接に行きます。
なので髪も久しぶりに切りました。子供いわく千と千尋の千みたいな頭ですって。緑じゃないですが。
面接もあるのに履歴書真まだ書いてません。え…
職種は今までの事務とは違いリハビリトレーナーです。
何故だろう。今まで事務しか経験が無いのに、事務に一番向いてない気がしているのは。なのに、また部長秘書(何それ)にも応募しようとしている自分がいて本当に不思議に思う。
止めておきなさいよ…
トレーナーもきっと私にはミスの宝庫でたくさん失敗するんだろうな
生きるって難しい。
と、受かってもいない仕事に思いをはせる心苦しい秋の始まりなのでした。
■
初めての体験
昨日webの基礎を学ぶセミナーを受講したと書きました。
全く理解出来なかったけれど、少しでも挑戦してみよう!と覚えてる範囲のタグを使いHTML編集で今回の記事を書いてみることにしました。
ちゃんと表示されるかなぁ?(プレビュー見る)すごい!ちゃんと表示されてる!!←感激して涙がでている
あれ、でも〈P〉以外他のタグのことわからない・・・参考プリントを見てみよう
これはどうだ?字が太くなってるかな
なってる!!
これはどうよ?色が変わってる?
変わってる!!やばい!!すごい自分(笑)←大興奮
あ、でも〈h2〉で見出しにしちゃったからタイトルが二つになった・・・?また分からない沼にハマるかも・・?
これは・・・大きくなってる??
すごーい、なってるよ!大きさの上限あるのかな。講義はついていけなかったけど復習して真似してみるって大事なんだな
でもなんで〈h3〉はタイトルにならなかったんだろう?
ここまでで力尽きた初めてのHTML編集ブログでした。本当に表示されただけでも感動でしたわ・・
そうだ!明日もこれで書いてみよう!練習になるものね
大人の迷子
わたしのお家はない
腰を痛めてから本当に毎日が辛くて、小さな作業1つにしてもビクビクと痛みに怯えながら過ごしていましたが、2度の診察と痛み止めの点滴を終えてしばらくはリハビリのみで良さそうです。
腰に響いていた謎の咳もだんだんと終盤に向かい落ち着いてきましたが、最近子供が痰の絡んだ咳をゴホングォフォンとするようになりました(移してるよね)。
こんな風にとにかく辛かったのですが、安静を言い渡されても私はゆっくり横になって1日を過ごすことは一度もありませんでした。
仕事もしてないくせに、朝8時には娘と共に家を出て夕方5時ごろに帰宅して慌ただしくお風呂や夕飯の用意をする毎日…
仕事しないで何してるの?謎の行動?と思われそうですけど私、同居の為に田舎に引っ越してきたのを機に仕事を辞めました。(その時の事もまたゆっくり書きます)
田舎すぎてこっちには仕事もないので昼間は在宅ワーカーになりました。それと資格の勉強。
あれ、、在宅してないからノマドマーカー?(まだこの言葉使われてるのか不安)
なぜ在宅ワークしないかって、完全同居してる家に一日中いられませんもの。
この家には同じようにヘルニアをやって腰痛に苦しみながらも毎日畑仕事に精を出す人がいるのに。
玄関もお風呂も一緒だから自由に出入りして好きな時間にお風呂とか、ありえません。
今まで好きなようにしていたのに、早く帰ることすらできないんです。
早く帰ったら家で何してるんだ?ってなってしまうから。
若い者が家にいるだけで何してるんだってなるこの考えがもう無理というか、畑を手伝うのが当たり前体操なんで会話が成立しないのです。
衣食住できる家はありますが、帰りたいと思う家がありません。
朝も無駄に早く出かけます。少しでも時間があるようなところを見せたら何言われるか。。
近くにコアワーキングスペースがあるからそこで毎日パソコン借りて作業してます。田舎なので人もほとんどいません。都会だったらこんな場所すぐ埋まるんだろうななぁとか思ったり。
わたしの子供が小さかった頃は保育園に7時まで預けて働いてましたが、その反動なのか環境が変わったせいなのか、今は少しでも私と一緒にいる時間が欲しいと言って児童センターにも早くお迎えに来てと頼まれるようになりました。
子供のために在宅に切り替えたけど、家にいる場所がないから子供連れて図書館や公園をはしごしてから帰る毎日です。
帰りたい家がない…浮気に走るサラリーマンのような気持ちで自分の居場所を探し求めてしまいます。
新しいおうちを建てることも許されないし、家を出ていくことも許されないなかで、おうちストレスは溜まりまくりです。
周りの同居のお嫁さんたちは二世帯の人ばかりで本当に羨ましい…
は!!
完全な愚痴記事になってしまいましたー!
こんな小さなことでも悩むくらいわたしは病んでるのか!
と気づかせて貰った今日は、webの基礎を学ぶセミナーに行ってまいります〜
同居してる人で、わたしのように自分のお家を自分のお家だと思えない人って他にもいるのでしょうか?
2018年は風しんが再流行中?
今朝、腰のリハビリに出かけてなければ・・と慌ただしく準備をして車に乗って渋滞を回避しつつも1時間かかってやっといつもの整形外科に到着したら
定休日でした。
お疲れ様です。
病院あるあるですね!←そう思いたい
もう一日何もやる気が起こらなくなったのは間違いではありません。
体の次は頭がやられてしまったのか?
そうだ!違う病院に行こう!
そう思い改め、内科に向かいました。
今回の腰の治りが悪いのがなかなか治らない咳のせいもあると思いついたのと、貧血の鉄剤が切れていたのでそれももらいに行きました。
予約もなしに行きましたが少し待たされた程度でスムーズに終わり、処方箋をもらう時に一枚の病院通信的なものがついていました。
そこには目を見張る一文が書かれていたのです。
今年2018年に風しんが再流行中です!!
えー!風しん流行ってるの?ってびっくりしました。
風しんが流行ったのってすごく昔のイメージで、しかも今は予防接種も皆してるはずだし、どうして流行るの??
と率直な疑問でした。
その通信をよく読んでみると、感染者の多くは20代~40代の男性に多く家族などに移します。との事。
まさに感染世代がビンゴです。
ビンゴといえば先日イオンモールの某携帯ショップで行ったビンゴイベントでビンゴ出したのうちの子供だけでした。でも景品はラップとティッシュボックスとパンフレット・・・
泣ける。
さらに、調べてみると風しん感染について以下のような記載がありました。
「風しんが流行した場合、特に感染が心配されるのは、1979年4月2日から1987年10月1日生まれの人です。
この世代は予防接種法改正のあおりで約半数にあたる600万人が未接種とみられているためです。」
予防接種法改正なんて言葉すら知りませんでしたが、どうやら未接種の可能性が大きいのは分かりました。
しかも、接種している人でも最後の予防接種から10~15年で抗体(免疫)は減弱して感染が防止できなくなるそうなんです。
そして風しん大流行の背景には、社会全体の危機感のなさがあるのだとか。社会的にも風しんなんてへっちゃらだよ的な雰囲気なのでしょうか。
それ以上の詳しいことはQRコードで病院のブログから見るようにになっていたのでそこでやめてしまいました。←
でもたしかに、なんだか風しんて他人事のような気持ちになってしまう部分はあるかも。身近な人でかかった人はいないし・・
でも、それで妊娠初期の女性がかかってしまうとお腹の赤ちゃんに高確率で障害が残ったり、妊娠中の女性の場合は流産や早産の危険が高まるらしいのです。
まだ私の周りでも二人目や三人目を考えてたり妊娠したりしている人は多くいるからこの部分に関しては他人事と思ってはいけない気がしました。
2回の接種を終えてない方、接種歴が不明の方、最後の接種から10年以上経過している人は男女ともに麻しん風しん混合ワクチンの接種をオススメするとのことでした。
体にいろんな害が出てきている私にとって、ここで風しんが流行しているとしたら必ずやその恩恵を受けてしまいそうで怖い・・・
でも、ぶっちゃけ注射も怖い・・・
ワクチン接種については賛否両論あるのでそのへんの事は個人の考え方でいいと思っている私ですが、(家族内でもインフルワクチン受ける受けない様々なので)
今回の風しんに関しては、機会を見計らって接種してこようと思っております。
でも、その前に腰のリハビリ通って痛みを早く取らなければ・・
もうすぐ実りの秋が来るのに。
超肉体労働の稲刈りがあるのに。
こんな腰痛抱えていたら
なんて使えない嫁と思われるか・・・それが一番の恐怖。
以上、農家の嫁は体が資本だよね。でした。